2011年12月20日 ブログの一時休止について
いつも当ブログをご覧頂きありがとうございます。さて、暫くの間、ブログの更新を一時的に休止することにしました。これまでご愛読頂きありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしています。
2011年12月02日 新疆ウイグル自治区で美味しかった物
↑ラグマン、もしくは挽麺。これは漢族が作ったもの。具材と麺が別盛りになっているバージョン。
↑焼きまんじゅう。アツアツで美味しい。
↑ラグマン(挽麺)。具材と麺が一緒になったバージョン。麺がしこしこでうまい。恐らく世界麺コンテストがあったとしたら、一位はラグマンか讃岐うどんだろう(個人的見解)。
↑大盆鶏(ダー・バン・ジー)。鶏肉と野菜をニンニクやショウガと一緒に炒めた豪快な料理。締めはラグマンに使う麺に掛けて食べる。お薦め料理。
↑新疆特有のものではないが、ウルムチでもカシュガルでも美味しい中華料理が食べられる。写真は、回鍋肉と麻婆豆腐と御飯。
2011年12月02日 ウルムチ(烏魯木斉)
ウルムチは新疆ウイグル自治区の中心で、多くの飛行機が出入りする玄関口でもある。高層ビルが立ち並ぶ大都市で、シルクロードの郷愁を求めて来た旅行者の期待を裏切ってしまうだろう。
市内では、紅山公園と新疆ウイグル自治区博物館と国際大バザールがお薦めだ。

↑ウルムチは、明確なビジョンがないままに肥大した大都市という印象を受けた。

↑国際大バザールは歩いていて楽しいところだ。

↑夜景。
市内では、紅山公園と新疆ウイグル自治区博物館と国際大バザールがお薦めだ。
↑ウルムチは、明確なビジョンがないままに肥大した大都市という印象を受けた。
↑国際大バザールは歩いていて楽しいところだ。
↑夜景。
2011年12月01日 カシュガル
旅行中にはカシュガルにも訪れた。ウルムチは大都会であるのに対して、カシュガルは一昔の風情を残している都市だ。新疆ウイグル地区の西の中心地だけあってホテルなども数多くあるが、ウルムチと比べると数や質が劣る点は否めない。
カシュガル市内には、アフガニスタンにあるモスクと同名のイードガー・モスクがあり、モスクの前の広場ではイスラム教徒が集団礼拝をする様子を見ることもできる。他には、アパック・ホジャ霊廟などもあるが、バザールを歩きながら買い食いしたり写真を撮ったりするのが楽しいところだ。

↑銀座4丁目交差点・・・ではなく、イードガーモスクの前にあるバザールの様子。

↑アパック・ホジャ霊廟、もしくは、香妃墓。碧色が綺麗な霊廟だ。

↑ポプラ並木を走る馬車。これが新疆の典型的な光景という気がする。
カシュガル市内には、アフガニスタンにあるモスクと同名のイードガー・モスクがあり、モスクの前の広場ではイスラム教徒が集団礼拝をする様子を見ることもできる。他には、アパック・ホジャ霊廟などもあるが、バザールを歩きながら買い食いしたり写真を撮ったりするのが楽しいところだ。
↑銀座4丁目交差点・・・ではなく、イードガーモスクの前にあるバザールの様子。
↑アパック・ホジャ霊廟、もしくは、香妃墓。碧色が綺麗な霊廟だ。
↑ポプラ並木を走る馬車。これが新疆の典型的な光景という気がする。
2011年11月30日 タシュクルガン・タジク(塔吉克)自治県
今回の旅行では、タシュクルガンという新疆ウイグル自治区の中でもタシュクルガン・タジク自治県にある街を訪れた。カシュガルから更に車で6時間程行った場所にある辺境の街だ。
タシュクルガンは、アフガニスタン、タジキスタン、パキスタン、キルギスタンに近い街だ。パキスタンとの国境であるホンジュラフ峠までは160キロほどしかなく、カラコルムハイウェイを使って中国からパキスタンに入国する旅人の休息場所にもなっている。人口のほとんどはタジク人だ。
道行く人にダリ語(ペルシャ語の方言)で話しかけてみたが、使われている言語が違うためか全く通じなかった。聞いていても全く違う言語を話していた。ウズベク語に近いのか、相当マイナーな言語を使っているのではないかと思うのだが、実際はどうなのだろうか。

↑ポプラ並木を歩く子供達。

↑タシュクルガンは雪が積もる山の麓にある小じんまりとした街だ。写真は1970年代のカブールを彷彿とさせる。

↑この方角にホンジュラフ峠がある。パキスタン国境は、毎年、大体1月1日~4月30日頃まで雪で閉鎖されてしまうらしい。
タシュクルガンは、アフガニスタン、タジキスタン、パキスタン、キルギスタンに近い街だ。パキスタンとの国境であるホンジュラフ峠までは160キロほどしかなく、カラコルムハイウェイを使って中国からパキスタンに入国する旅人の休息場所にもなっている。人口のほとんどはタジク人だ。
道行く人にダリ語(ペルシャ語の方言)で話しかけてみたが、使われている言語が違うためか全く通じなかった。聞いていても全く違う言語を話していた。ウズベク語に近いのか、相当マイナーな言語を使っているのではないかと思うのだが、実際はどうなのだろうか。
↑ポプラ並木を歩く子供達。
↑タシュクルガンは雪が積もる山の麓にある小じんまりとした街だ。写真は1970年代のカブールを彷彿とさせる。
↑この方角にホンジュラフ峠がある。パキスタン国境は、毎年、大体1月1日~4月30日頃まで雪で閉鎖されてしまうらしい。
2011年11月29日 中国新疆ウイグル自治区:カラクリ湖
今年11月はじめにあったイード休暇を利用して、中華人民共和国の新疆ウイグル自治区に旅行してきた。
全般的な印象として、新疆ウイグル自治区とアフガニスタンは地理的条件が似ており、文化的にも共通点が多かった。インド半島がぶつかって褶曲して出来た山脈地帯が、南アジア周辺には多いのだが、山々の形や木々や動物など色々な面でアフガニスタンを彷彿とさせる風景が多かった。
新疆ウイグル自治区に住むウイグル族はイスラム教徒とがほとんどであり、アラビア文字を使用している。街中にはアラビア文字と漢字と場合によってはロシア語が混ざり合っていて興味深かった。
食事も、ナン、パラオ、ケバブ、マントゥーなど同じものが沢山あった。
色々な場所に訪れたが、カシュガルからパキスタンとの国境方面に車で3時間程行った場所にあるカラクリ湖の写真を今日は掲載したいと思う。
カラクリ湖は氷河が解けてできた湖で、標高3600メートル辺りに位置している。湖はエメラルドグリーン色をしていて、水質も良く綺麗だ。周辺にはキルギス族が住んでいる。

↑カラクリ湖とムスターグアタ峰(7546メートル)。

↑11月頭でも気温は日中でゼロ度前後で寒かった。山は雪に覆われていた。

↑湖の横には湿原が広がり、放牧に適している。
全般的な印象として、新疆ウイグル自治区とアフガニスタンは地理的条件が似ており、文化的にも共通点が多かった。インド半島がぶつかって褶曲して出来た山脈地帯が、南アジア周辺には多いのだが、山々の形や木々や動物など色々な面でアフガニスタンを彷彿とさせる風景が多かった。
新疆ウイグル自治区に住むウイグル族はイスラム教徒とがほとんどであり、アラビア文字を使用している。街中にはアラビア文字と漢字と場合によってはロシア語が混ざり合っていて興味深かった。
食事も、ナン、パラオ、ケバブ、マントゥーなど同じものが沢山あった。
色々な場所に訪れたが、カシュガルからパキスタンとの国境方面に車で3時間程行った場所にあるカラクリ湖の写真を今日は掲載したいと思う。
カラクリ湖は氷河が解けてできた湖で、標高3600メートル辺りに位置している。湖はエメラルドグリーン色をしていて、水質も良く綺麗だ。周辺にはキルギス族が住んでいる。
↑カラクリ湖とムスターグアタ峰(7546メートル)。
↑11月頭でも気温は日中でゼロ度前後で寒かった。山は雪に覆われていた。
↑湖の横には湿原が広がり、放牧に適している。
2011年11月19日 ロヤジルガの要旨
ロヤジルガで議論されたことの要旨がTolo Newsに掲載されていたのでリンクを張っておきたいと思う。
初日にカルザイ大統領がアメリカとの戦略的提携には条件付きで前向きである、との姿勢を示したことで、全体的に議論がそちらの方向に傾いたということは否定できない。この事から、カルザイ大統領には初めからカルザイ大統領なりの結論があった上で、国民からの裏書きを得る為にロヤジルガを開いたという批判的な見方があっても否定できないだろう。
トロ・ニュースによる要点:
• Foreign troops should not conduct operations without Afghan security forces
• The US should stand by the Afghan government if it is attacked by any third country. This should be clearly mentioned in any long-term agreement
• The US should guarantee that Afghanistan will not turn into a political battlefield after foreign troops withdraw
• No military operations should be launched against third countries from Afghan soil
• US financial aid should be given to Afghanistan as scheduled
• The US should focus on the reconstruction of Afghanistan's infrastructure
• The international community should support the peace process and put pressure on insurgents to leave Afghanistan
• Negotiations should be held with the Taliban and with Pakistan
• The long-term strategic agreement should be valid for ten years and may be extended after further negotiations
出典:
Tolo News: Loya Jirga Backs Afghan-US Partnership
http://www.tolonews.com/en/afghanistan/4456
初日にカルザイ大統領がアメリカとの戦略的提携には条件付きで前向きである、との姿勢を示したことで、全体的に議論がそちらの方向に傾いたということは否定できない。この事から、カルザイ大統領には初めからカルザイ大統領なりの結論があった上で、国民からの裏書きを得る為にロヤジルガを開いたという批判的な見方があっても否定できないだろう。
トロ・ニュースによる要点:
• Foreign troops should not conduct operations without Afghan security forces
• The US should stand by the Afghan government if it is attacked by any third country. This should be clearly mentioned in any long-term agreement
• The US should guarantee that Afghanistan will not turn into a political battlefield after foreign troops withdraw
• No military operations should be launched against third countries from Afghan soil
• US financial aid should be given to Afghanistan as scheduled
• The US should focus on the reconstruction of Afghanistan's infrastructure
• The international community should support the peace process and put pressure on insurgents to leave Afghanistan
• Negotiations should be held with the Taliban and with Pakistan
• The long-term strategic agreement should be valid for ten years and may be extended after further negotiations
出典:
Tolo News: Loya Jirga Backs Afghan-US Partnership
http://www.tolonews.com/en/afghanistan/4456
2011年11月19日 Committee No.39
11月16日~19日の4日間、アフガニスタンではロヤジルガと呼ばれる伝統的な会合が行われ、全国から2000人に及ぶ代表者が集まった。主な議題は2つあり、1つはタリバンを含む反政府勢力との交渉について、もう1つは2014年以降のアフガニスタンと米国との戦略的関係についてだ。
2000人もいるので40の委員会に人を分けて進行したようなのだが、コミッティー39番に割り当てられた人から39番はいい番号ではないので欠番にして欲しいとの苦情が多く、途中で39番が欠番になるというハプニングがあった。
39という数字はイスラム教やアフガニスタンの歴史という観点から特に不吉な数字ではなく、今回こうした事が起こった事の背景には都市伝説のようなものが隠れている。人から聞いたところでは、昔アフガニスタン西部の都市ヘラートにある男がおり、その男が別の男を娼婦の所に連れて行く所謂ポン引きのような事をしていたらしい。その男が乗っていた車のナンバーが39だったらしく、娼婦の所に行きたい人達の間ではナンバープレートの39が目印になっていたようなのだ。
こうした話が都市伝説のように広がって、今では39が入っている車は売れないので、売却価格は同じ車種でも2分の1近くに下がってしまうという現象が起きている。こういう背景があるので、コミッティー39番に割り当てられた人達は39という数字が不吉だと思ったのだろう。
尚、アフガニスタンでは結婚以外に男女が交際することは当然認められていないし、娼婦になることもそれを斡旋することもタブーになっている。
ロヤジルガにまつわる小話でした。
2000人もいるので40の委員会に人を分けて進行したようなのだが、コミッティー39番に割り当てられた人から39番はいい番号ではないので欠番にして欲しいとの苦情が多く、途中で39番が欠番になるというハプニングがあった。
39という数字はイスラム教やアフガニスタンの歴史という観点から特に不吉な数字ではなく、今回こうした事が起こった事の背景には都市伝説のようなものが隠れている。人から聞いたところでは、昔アフガニスタン西部の都市ヘラートにある男がおり、その男が別の男を娼婦の所に連れて行く所謂ポン引きのような事をしていたらしい。その男が乗っていた車のナンバーが39だったらしく、娼婦の所に行きたい人達の間ではナンバープレートの39が目印になっていたようなのだ。
こうした話が都市伝説のように広がって、今では39が入っている車は売れないので、売却価格は同じ車種でも2分の1近くに下がってしまうという現象が起きている。こういう背景があるので、コミッティー39番に割り当てられた人達は39という数字が不吉だと思ったのだろう。
尚、アフガニスタンでは結婚以外に男女が交際することは当然認められていないし、娼婦になることもそれを斡旋することもタブーになっている。
ロヤジルガにまつわる小話でした。
2011年11月18日 メモ:二ザール派について
バダクシャンの多くの人はイスラム教のイスマイル派に属していると書いたが、その中でも特に二ザール派と呼ばれる一派に属している人が多い。
イスラム教は大きく分けるとスンニ派とシーア派があるが、イスマイル派は8世紀頃にシーア派から分派して出来た。イスマイル派の人々は、ムハンマドの末裔であるジャファルが死亡した際に、彼の息子ムーサー・アルカージムとは別に、彼が後継ぎとして指名したイスマイルと呼ばれるもう一人の息子を正統な後継ぎとして受け入れた。
二ザール派は更にそのイスマイル派の中の特別な一派である。11世紀から12世紀にかけて主流派から分かれて出来たと言われており、イラン、アフガニスタン、タジキスタン等にその信徒がちらばっている。二ザール派の初期指導者は、イランのテヘランの西にあるアラムート城砦近辺で活動していたことで有名である。
アラムートに住むイマーム達は敵対者を暗殺するということで有名だ。これは西欧などでは伝説的に「暗殺教団」と呼ばれて名を知られるようになった。史実なのか伝説なのか私にもわからないのだが、よく言われる所では、若者を秘密の楽園に連れ去り、そこでハシシを吸わせて理性を失った若者に敵対者を暗殺させる、というのが大まかなあらすじだ。その暗殺教団の名前が「アサシン(Assassin)」であったことから、英語で「暗殺」のことを「assassin」と呼ぶようになったと言われる。英語の「暗殺」の語源となった集団なのである。
以上はバダクシャンから連想される事に関するメモだ。これは蛇足になるが、先日、ラバニ元大統領が敵対グループによって暗殺されたということは興味深い。何故ならラバニ元大統領はバダクシャン出身であり、恐らくイスマイリ派の中でも二ザール派ではないかと思われるからだ。二ザール派の初期指導者らが得意としていた暗殺という手段によってラバニ氏がこの世を去ったという事実は、何らかの歴史の因縁があったからだと言えるかもしれない。
※今回の事実は史実に基づいている部分とそうでない部分がありますので、単なる読み物としてお読み頂ければ幸いです。
イスラム教は大きく分けるとスンニ派とシーア派があるが、イスマイル派は8世紀頃にシーア派から分派して出来た。イスマイル派の人々は、ムハンマドの末裔であるジャファルが死亡した際に、彼の息子ムーサー・アルカージムとは別に、彼が後継ぎとして指名したイスマイルと呼ばれるもう一人の息子を正統な後継ぎとして受け入れた。
二ザール派は更にそのイスマイル派の中の特別な一派である。11世紀から12世紀にかけて主流派から分かれて出来たと言われており、イラン、アフガニスタン、タジキスタン等にその信徒がちらばっている。二ザール派の初期指導者は、イランのテヘランの西にあるアラムート城砦近辺で活動していたことで有名である。
アラムートに住むイマーム達は敵対者を暗殺するということで有名だ。これは西欧などでは伝説的に「暗殺教団」と呼ばれて名を知られるようになった。史実なのか伝説なのか私にもわからないのだが、よく言われる所では、若者を秘密の楽園に連れ去り、そこでハシシを吸わせて理性を失った若者に敵対者を暗殺させる、というのが大まかなあらすじだ。その暗殺教団の名前が「アサシン(Assassin)」であったことから、英語で「暗殺」のことを「assassin」と呼ぶようになったと言われる。英語の「暗殺」の語源となった集団なのである。
以上はバダクシャンから連想される事に関するメモだ。これは蛇足になるが、先日、ラバニ元大統領が敵対グループによって暗殺されたということは興味深い。何故ならラバニ元大統領はバダクシャン出身であり、恐らくイスマイリ派の中でも二ザール派ではないかと思われるからだ。二ザール派の初期指導者らが得意としていた暗殺という手段によってラバニ氏がこの世を去ったという事実は、何らかの歴史の因縁があったからだと言えるかもしれない。
※今回の事実は史実に基づいている部分とそうでない部分がありますので、単なる読み物としてお読み頂ければ幸いです。
2011年11月17日 バダクシャンの写真スライドショー追加
ホームページにバダクシャンの写真スライドショーを追加しました。もしよければご覧下さい。

http://www.kenta-aoki.com/photos/badakhshan/badakhshan.html

http://www.kenta-aoki.com/photos/badakhshan/badakhshan.html




















