2010年05月19日 ヘラート州 (1)

↑ヘラートにあるマズジェデ・ジャーメェ

↑多彩な青が織りなす重厚なミナレット

↑礼拝の様子
アフガニスタン西部にある大都市はヘラートだ。州の名前もそのままヘラート州。軍閥の時代はイスマイル・ハーンによって支配されていたが、マザール同様、アフガン人に聞けば皆誰しも「ヘラート・フーブ・ジョイ・アスト(ヘラートはいい所だ)」と言う。
実際行ってみると、空港から市内に行く道沿いには松の並木道が生い茂り、電線が綺麗に走っている。街は整然としておりイランのようだ。食べ物もサフランライスやケバブなどが主流で、盛り付けもカブールや他の都市とは違ってイランに近い。言葉もカブールで話されているダリ語よりはペルシャ語に近いと感じた。
写真はヘラート市内中心部にあるマズジェデ・ジャーメェ(金曜モスク)。中では何万人もが一度に礼拝することができる。
2010年05月18日 ダルラマン通りでの自爆テロ
今日5月18日、ダルラマン通りで自爆テロがあった。僕は事務所にいたが、衝撃波で事務所の窓ガラスが割れた。物凄い音だったので他のスタッフと一緒に建物の外に出ることにした。報道では20人前後が死亡、多数負傷したという。NATOのコンボイを狙ったようだが、多くの市民も巻き添えになっている。
アフガニスタン人の市民を犠牲にしながら人心を掌握するということは可能なのだろうか。
Kabul suicide car bombing 'kills at least 19
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/8688635.stm
アフガニスタン人の市民を犠牲にしながら人心を掌握するということは可能なのだろうか。
Kabul suicide car bombing 'kills at least 19
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/8688635.stm
2010年05月18日 パミール・エアー・クラッシュ
今日のニュースで、パミール・エアー(Pamir Air)というアフガニスタンの民間航空会社の一つが、クンドゥス-・カブール路線間で行方不明になっているとの報道があった。クンドゥスを飛び立ってから連絡が取れないとのことで、途中にあるヒンドゥークシュ山脈(サラン峠)に激突したのではないかとの推測がされている。43人(44人)の乗客がおり、外国人も5、6人搭乗していたようだ。今日はカブールでも激しい雨が降り、山の上には霧がかかっていたので、視界が不良だったことが原因なのではないだろうか。
Afghan passenger plane crashes near Salang Pass
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/8686584.stm
友達や知人やその家族が被害にあっていないか心配だ。
Afghan passenger plane crashes near Salang Pass
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/8686584.stm
友達や知人やその家族が被害にあっていないか心配だ。
2010年05月14日 ブログのカスタマイズしました
ブログの両側に枠線があるのが嫌だったので変えようと思っていじりはじめたら、デザインが大幅に変わってしまった。髪の毛を切っていて右側を切り過ぎたので、左側を揃えようと思って切ったら右側より切り過ぎてしまって、今度は右側を揃えようと思ったら、とあれこれやっている内に最終的に全然違う髪型になった状況と似ている。しかも、前のブログ「アフガニスタン/パキスタン駐在日記」にそっくりだ。まぁ、あのブログのデザインも僕がカスタマイズしたので誰も文句は言わないだろう。
主な変更点は下記の通り。
(1)文章部分の両脇にあった枠線を削除した
(2)ヘッダーの下線を揃えて、色を黒からオレンジにした
(3)文章部分の幅を広くした
これにより見込まれるアウトプットは・・・、
(1)枠線を削除したことで窮屈感がなくなる。
(2)これにより、写真のインパクトに広がりが出る
(3)ヘッダーの下線を黒からオレンジにしたことで、全体的に明るくなる
(4)文章が読みやすくなる
というところだろうか。
しばらく様子を見てみよう。
主な変更点は下記の通り。
(1)文章部分の両脇にあった枠線を削除した
(2)ヘッダーの下線を揃えて、色を黒からオレンジにした
(3)文章部分の幅を広くした
これにより見込まれるアウトプットは・・・、
(1)枠線を削除したことで窮屈感がなくなる。
(2)これにより、写真のインパクトに広がりが出る
(3)ヘッダーの下線を黒からオレンジにしたことで、全体的に明るくなる
(4)文章が読みやすくなる
というところだろうか。
しばらく様子を見てみよう。
2010年05月14日 イデオロギーの戦い
"Nationalism vs Islamic Extremism"とアフマド・ラシッドは「タリバン」でも「ジハード」でも書いていたが、この指摘はもっともだと思う。日本で国家主義を唱えれば時代遅れの主張だと捉えられるかもしれないが、アフガニスタンでは国家建設が頓挫したまま旧ソ連との戦争を迎えてしまったので、その続きを30年の中断を経て今から行わなければならない。
1964年、アフガニスタンではザヒール・シャー時代に憲法が制定され立憲君主国としての体制を整え始めた。しかし、1973年にザヒール・シャーがイタリアに渡航している間に、ザヒール・シャーの従兄であるモハマド・ダウド・ハーンが政権の座を奪ってしまった。その後、1978年のサウルの月に革命が起こり、長い戦争の時代に突入していく。
1992年にナジブラー政権が崩壊した後、アフガニスタンのムジャヒディン同士の内戦時代に陥った。今でも、アフガニスタン人はこの時代が最悪の時代だったと言う。そうした時代背景の中で現れたのがタリバンであり、イデオロギーが喪失した時代においてイスラム原理主義という強烈なイデオロギーを背景に現れた救世主となったのである。
2001年の9.11後にアメリカによってタリバン政権が陥落し、またイデオロギーの空白が到来した。中央集権国家を建設するという途方もない道を歩き始めたアフガニスタンにとって、国家主義を推し進めることは国の根幹を支える非常に重要な国策になるべきだ。それはまさに、"Nationalism vs Islamic Extremism"の戦いと言えるだろう。
MRRDのジア前大臣からこんな面白い話を聞いた。
彼は、国民の国家への帰属意識、アフガニスタン人としてのアイデンティティーが国の安定の為には必要だと考えて、主要な部署にはアフガニスタンの国旗を全て備え付けるように命令したという。今でもMRRDに来ればアフガニスタンの大きな国旗があらゆる部署にあることに気がつくだろう。こうしたことは些細なことかもしれないが、自分は国家公務員なのだという自覚を一人ひとりの役人に浸透させるためには非常に有効だろう。
アフガニスタンでは、国歌を歌える人がほとんどいない。また国の象徴である王も死去してしまった。ジア前大臣は、そんな中でもアフガニスタン人は国旗を見れば自分はアフガニスタンの国民なんだと認識するので、国旗こそが国の象徴になり得ると考えた。
この考えを活用して、小さな国旗のバッジを国家公務員に配る、マスメディアを活用するなどの政策をアフガニスタン中央政府は着実に行うことが必要なのではないか。日本の国土の1.8倍ある国、共通語がダリ語とパシュトゥ語の2つあり、多民族が共存するアフガニスタンにおいて、国家レベルで物事を考える人は少ないかもしれない。村レベル、地域レベル、民族レベルの利害が、個人の利害になっている時代が長かった。しかし、アフガニスタンがイスラム原理主義の復活に負けず、一つの国家として着実に歩み始めるには国家主義の促進が不可欠だろう。
旧軍閥を解体し、アフガニスタン中央政府の軍と警察が治安を確保するという前提で始まった治安分野改革だが、当初の想定とは裏腹に、タリバンの攻勢は弱まるばかりか日を経るごとに増すばかりだ。こうした中で国際社会は戦略の転換を迫られており、タリバンとの和解と再統合も開始されようとしている。こうした経緯の中で、将来を見据えた一つの政策の中で、ナショナリズムの強化という側面はもっと強調されていいのではないかと思う。
(※)1994年当時のタリバン出現の背景にはイデオロギーという側面だけではなく政治や社会的背景、とりわけ、パシュトゥン人としての民族のアイデンティティーという力学が働いていたという分析も可能だ。こうした指摘は多くの学者によってされているが、この記事では一貫してイデオロギーの側面のみにフォーカスした。
1964年、アフガニスタンではザヒール・シャー時代に憲法が制定され立憲君主国としての体制を整え始めた。しかし、1973年にザヒール・シャーがイタリアに渡航している間に、ザヒール・シャーの従兄であるモハマド・ダウド・ハーンが政権の座を奪ってしまった。その後、1978年のサウルの月に革命が起こり、長い戦争の時代に突入していく。
1992年にナジブラー政権が崩壊した後、アフガニスタンのムジャヒディン同士の内戦時代に陥った。今でも、アフガニスタン人はこの時代が最悪の時代だったと言う。そうした時代背景の中で現れたのがタリバンであり、イデオロギーが喪失した時代においてイスラム原理主義という強烈なイデオロギーを背景に現れた救世主となったのである。
2001年の9.11後にアメリカによってタリバン政権が陥落し、またイデオロギーの空白が到来した。中央集権国家を建設するという途方もない道を歩き始めたアフガニスタンにとって、国家主義を推し進めることは国の根幹を支える非常に重要な国策になるべきだ。それはまさに、"Nationalism vs Islamic Extremism"の戦いと言えるだろう。
MRRDのジア前大臣からこんな面白い話を聞いた。
彼は、国民の国家への帰属意識、アフガニスタン人としてのアイデンティティーが国の安定の為には必要だと考えて、主要な部署にはアフガニスタンの国旗を全て備え付けるように命令したという。今でもMRRDに来ればアフガニスタンの大きな国旗があらゆる部署にあることに気がつくだろう。こうしたことは些細なことかもしれないが、自分は国家公務員なのだという自覚を一人ひとりの役人に浸透させるためには非常に有効だろう。
アフガニスタンでは、国歌を歌える人がほとんどいない。また国の象徴である王も死去してしまった。ジア前大臣は、そんな中でもアフガニスタン人は国旗を見れば自分はアフガニスタンの国民なんだと認識するので、国旗こそが国の象徴になり得ると考えた。
この考えを活用して、小さな国旗のバッジを国家公務員に配る、マスメディアを活用するなどの政策をアフガニスタン中央政府は着実に行うことが必要なのではないか。日本の国土の1.8倍ある国、共通語がダリ語とパシュトゥ語の2つあり、多民族が共存するアフガニスタンにおいて、国家レベルで物事を考える人は少ないかもしれない。村レベル、地域レベル、民族レベルの利害が、個人の利害になっている時代が長かった。しかし、アフガニスタンがイスラム原理主義の復活に負けず、一つの国家として着実に歩み始めるには国家主義の促進が不可欠だろう。
旧軍閥を解体し、アフガニスタン中央政府の軍と警察が治安を確保するという前提で始まった治安分野改革だが、当初の想定とは裏腹に、タリバンの攻勢は弱まるばかりか日を経るごとに増すばかりだ。こうした中で国際社会は戦略の転換を迫られており、タリバンとの和解と再統合も開始されようとしている。こうした経緯の中で、将来を見据えた一つの政策の中で、ナショナリズムの強化という側面はもっと強調されていいのではないかと思う。
(※)1994年当時のタリバン出現の背景にはイデオロギーという側面だけではなく政治や社会的背景、とりわけ、パシュトゥン人としての民族のアイデンティティーという力学が働いていたという分析も可能だ。こうした指摘は多くの学者によってされているが、この記事では一貫してイデオロギーの側面のみにフォーカスした。
2010年05月13日 ペルシャ語のカタカナ表記あれこれ
僕はペルシャ語の方言であるダリ語をかじっているだけだが、日本語でのペルシャ語のカタカナ表記に疑問を覚えることがある。
1.(誤)メシャド → (正)マシュハド
イランの東部にマシュハドという都市があるのだが、日本で出版されているアフガニスタンの歴史書の中で「メシャド」と表記している本がある。僕もマシュハドには実際に訪れたことがあるが、どう聞いても「マシュハド」か「マシャド」が正しい表記だと思う。
マシュハドは「ミーム」+「シーン」+「ヘー」+「ダール」なので、メシャドにはならないと思うのだが専門家に聞いたらどうなのだろう。けっこう有名なアフガニスタンの歴史書にもこうした誤りがある。原典に当たらないで歴史書を記すのはいかがなものかといくばくかの苦言を呈したい。
2.(誤)マズジド・イ・ジャミ → (正)マズジェデ・ジャメイ(ジャマ)
ヘラートにある青色が綺麗な大モスクのことを、「マズジド・イ・ジャミ」と表記している本があるが、この「イ」はエザーフェと呼ばれるペルシャ語独特のもので前の単語とくっつくので、単独に「イ」という発音にはならないと思う。ペルシャ語を知らない学者が英語のMazjid-i-Jamiというのをそのまま訳したという感じを受けるのは僕だけだろうか。
ちなみに、マズジェデ・ジャメイのジャメイは、金曜日を表す「ジュマ」とは別の単語だ。金曜日のモスク(ジュマのマズジッド)だからマズジェデ・ジュマなんだと説明する人がいるが、それは間違いだ。
ジャメイ・モスクというのは、金曜日に人々が集まるモスクの一般名詞だ。なので、カブールにある大きなプリヘシティ・モスクも、シャリナウにあるハジ・ヤクブ・モスクもジャメイ・モスクだ。ヘラートにある大きなモスクもジャメイ・モスクの一つだが、固有名詞としての機能も果たしているというだけなのだろうと思う。
確かに金曜日に沢山人が集まるので金曜モスクという翻訳は誤りではないし、英語でもFriday Mosqueと幅広く使われている。しかし、ジュマのモスクではないということは記しておくに値するだろうと思って書くことにした。「文字通り金曜日のモスクである」などと仰々しく書いてある参考書がたまにあるが、こういう本には要注意だ。
1.(誤)メシャド → (正)マシュハド
イランの東部にマシュハドという都市があるのだが、日本で出版されているアフガニスタンの歴史書の中で「メシャド」と表記している本がある。僕もマシュハドには実際に訪れたことがあるが、どう聞いても「マシュハド」か「マシャド」が正しい表記だと思う。
マシュハドは「ミーム」+「シーン」+「ヘー」+「ダール」なので、メシャドにはならないと思うのだが専門家に聞いたらどうなのだろう。けっこう有名なアフガニスタンの歴史書にもこうした誤りがある。原典に当たらないで歴史書を記すのはいかがなものかといくばくかの苦言を呈したい。
2.(誤)マズジド・イ・ジャミ → (正)マズジェデ・ジャメイ(ジャマ)
ヘラートにある青色が綺麗な大モスクのことを、「マズジド・イ・ジャミ」と表記している本があるが、この「イ」はエザーフェと呼ばれるペルシャ語独特のもので前の単語とくっつくので、単独に「イ」という発音にはならないと思う。ペルシャ語を知らない学者が英語のMazjid-i-Jamiというのをそのまま訳したという感じを受けるのは僕だけだろうか。
ちなみに、マズジェデ・ジャメイのジャメイは、金曜日を表す「ジュマ」とは別の単語だ。金曜日のモスク(ジュマのマズジッド)だからマズジェデ・ジュマなんだと説明する人がいるが、それは間違いだ。
ジャメイ・モスクというのは、金曜日に人々が集まるモスクの一般名詞だ。なので、カブールにある大きなプリヘシティ・モスクも、シャリナウにあるハジ・ヤクブ・モスクもジャメイ・モスクだ。ヘラートにある大きなモスクもジャメイ・モスクの一つだが、固有名詞としての機能も果たしているというだけなのだろうと思う。
確かに金曜日に沢山人が集まるので金曜モスクという翻訳は誤りではないし、英語でもFriday Mosqueと幅広く使われている。しかし、ジュマのモスクではないということは記しておくに値するだろうと思って書くことにした。「文字通り金曜日のモスクである」などと仰々しく書いてある参考書がたまにあるが、こういう本には要注意だ。
2010年05月07日 アフガニスタン写真(クンドゥス)
2010年05月06日 アフガニスタン写真(マザール)
マザリシャリフにあるハズラト・アリー廟の写真をHPに計30枚アップした。容量が重いので15枚ずつ、2つのフォルダーに分けてある。もし、よければご覧ください。

http://www.kenta-aoki.com/photos/mazar1/mazar1.html

http://www.kenta-aoki.com/photos/mazar2/mazar2.html

http://www.kenta-aoki.com/photos/mazar1/mazar1.html

http://www.kenta-aoki.com/photos/mazar2/mazar2.html
2010年05月01日 クンドゥス州
↑クンドゥス市内を走るオート3輪車
バグラン州の北東にはクンドゥス州がある。メロン、すいか、米の生産で名を馳せているだけに、広大な平野が広がり温暖な地域だ。
近年のクンドゥス州の治安の悪化は著しく、アフガン人のエンジニアやサーベーヤーも誘拐や脅迫が怖いといって市外に行きたがらない。タジキスタンと国境を接しており、隣のタハール州と並んで、非合法の武器・麻薬・人の輸送ルートになっていると考えられる。
マザールやパルワンではえんじのオート3輪車が主流だが、クンドゥス市内には青いオート3輪車が走っている。ラワルピンディやラホールで見たリキシャと似ている。
2010年04月30日 アコスティック・ギター購入
4月28日は戦勝記念日(祝日)だったので、仕事は休みになった。またアフガニスタンでは水曜日が休みになると、金曜日との間にはさまれた木曜日も自動的に休みになる為、3連休になる。
RTAでパレードの様子を見ていたが、イードガー・モスクの前にあるガズィ・スタジアムで行われたようだ。見たところ、カルザイ大統領は出席していないようでファヒーム副大統領がスピーチをしていた。式典にトップがいないとどうも締りがない感じがする。外交団の出席もまばらなようだった。
昨日の夜はイラン人のハウスメイトが旅立つので送別会をした。6、7人のこじんまりとした会だったが、楽しかった。料理は別のハウスメイトが用意してくれたので、僕はサラダだけ準備した。
サニーレタスときゅうりとトマトに、バルサミコ酢とオリーブオイルと塩・こしょうを混ぜた手作りドレッシングをかけて、上にホワイト・チーズを載せレモンをかけてみた。7時に始まると聞いていたので、それに合わせて準備したのだが、人が集まるのが遅くて食べ始めたのは8時くらいになってしまった。失敗したのは、ドレッシングを早めにかけてしまったので、浸透圧の関係で野菜の水分が出てきてしまったことだ。シャキッとした歯ごたえが損なわれてしまい、それに伴いゲストの満足も損なわれてしまった気がして残念だった。
そういえば、ワイヤレス・インターネットに続いてギターを購入した。イスラマバードでも買ったことがあったが、これで生涯ギター購入本数は3本になった。今回買ったギターはピック・チューナー込で240ドルだったが、音も色もよくてなかなか気に入っている。しかし、イスラマバードで買ったギターはエレアコだったのだが、非常に良いギターだった。今更ながら離任の時に置いてきたのがすこし悔やまれる。
ネットもギターも揃って、少し生活が充実した。
RTAでパレードの様子を見ていたが、イードガー・モスクの前にあるガズィ・スタジアムで行われたようだ。見たところ、カルザイ大統領は出席していないようでファヒーム副大統領がスピーチをしていた。式典にトップがいないとどうも締りがない感じがする。外交団の出席もまばらなようだった。
昨日の夜はイラン人のハウスメイトが旅立つので送別会をした。6、7人のこじんまりとした会だったが、楽しかった。料理は別のハウスメイトが用意してくれたので、僕はサラダだけ準備した。
サニーレタスときゅうりとトマトに、バルサミコ酢とオリーブオイルと塩・こしょうを混ぜた手作りドレッシングをかけて、上にホワイト・チーズを載せレモンをかけてみた。7時に始まると聞いていたので、それに合わせて準備したのだが、人が集まるのが遅くて食べ始めたのは8時くらいになってしまった。失敗したのは、ドレッシングを早めにかけてしまったので、浸透圧の関係で野菜の水分が出てきてしまったことだ。シャキッとした歯ごたえが損なわれてしまい、それに伴いゲストの満足も損なわれてしまった気がして残念だった。
そういえば、ワイヤレス・インターネットに続いてギターを購入した。イスラマバードでも買ったことがあったが、これで生涯ギター購入本数は3本になった。今回買ったギターはピック・チューナー込で240ドルだったが、音も色もよくてなかなか気に入っている。しかし、イスラマバードで買ったギターはエレアコだったのだが、非常に良いギターだった。今更ながら離任の時に置いてきたのがすこし悔やまれる。
ネットもギターも揃って、少し生活が充実した。











