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    <title>永遠ピースのために</title>
    <subtitle>永遠ピースのためには、平和構築・紛争予防の現場で働く青木 健太のブログ(blog)です。</subtitle>
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    <updated>2010-07-27T12:40:00Z</updated>

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 <title type="html"><![CDATA[アフガニスタンの社会構造－ウチ・ソト意識－]]></title>
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 <updated>2010-07-27T12:40:00Z</updated>
 <published>2010-07-27T21:40:00+09:00</published>
 <content type="html"><![CDATA[最近、同じアフガニスタン人が、公共の場所と内輪の集まりでは見せる態度が全く異なることを不思議に思ったりする。こうした態度は、アフガニスタンの社会構造や人間関係というものをよく表しているのではないだろうか。<br />
<br />
何事も一般化できないが、概してアフガン人には客人をもてなす文化がある。パシュトゥンワリと呼ばれるパシュトゥン人の行動規範のようなものの中でも、「バダル（復讐）」と並んで「メルマスティア（客人歓待）」というのがパシュトゥン人がすべき事の一つとして語られる。<br />
<br />
実際に、アフガニスタンで生活してみると、ドアの前で他の人とかち合うと「ペファルマイッド（どうぞ）」や「メラバニ」と先に進むように道を譲ってくれることがほとんどだし、同僚の部屋に仕事の質問に行くだけでも「チャイ・メホリ（チャイでもどうぞ）」や、昼時に行けば「ノン・ボホ（ご飯食べて行けよ）」と言われることが日常の風景となっている。客人をもてなすことが一つの文化になっていて微笑ましい。これは、家族や友人や客人に分類されるカテゴリーに適用されるようだ。<br />
<br />
一方で、公共の場所においては、アフガニスタン人は全く別の顔を見せる。一番顕著な例は、道路の上でのマナーだろう。ドアの前では道を譲ってくれるアフガニスタン人も、公共の道路の上では、自分の車が少しでも先に進むように、我先に車を運転する。少しの隙間があれば、そこに車の鼻先をねじこむ。そこには、オフィスで感じられたような、譲り合いの精神や相手への思いやりというものが微塵も感じられず、これが同じ人間かと思わず顔が青ざめてしまうほどの変貌ぶりに驚く。<br />
<br />
同じように、公共の精神というものが感じられないのは、川や山へのゴミの投げ捨てにも見られる。プラスチックや発泡スチロールのゴミでも何でも、カブール市内の川や道端や山のいたるところに見られる。<br />
<br />
同じアフガニスタン人にも関わらず、身内に対する態度と公共の場所での態度が全く異なるのは、アフガニスタンの社会構造と深いつながりがあるのではないか。簡単に言えば、アフガニスタンにはウチとソトの意識が著しく高いという特徴がある。これは日本でも都会ではなく田舎で見られる傾向だろう。ウチとソトを明確に区別することには、ウチ側の社会の凝集性を高めるという機能があると言える。ウチにおける相手への思いやりや譲り合いの精神は、一体感や連帯を生みだし、社会の秩序につながる。<br />
<br />
こうした背景には、アフガニスタンがおかれた地理的な環境や自然などがあると言えるだろう。周囲が自分の所属する集団に対して優しくない環境だと、その集団の一体感は高まる傾向がある。例えば、学校で部活をしていて、上級生の仲があまりよくなく下級生の自分達が不満のはけ口になっているような状態だと、妙に自分の所属する下級生集団同士が仲良くなっていたというようなことはよくあるだろう。アフガニスタンの農村部のように、国家の司法制度や治安制度が行き届いていない社会では、コミュニティー内の連帯を強めて、自分たち自身による話し合いなどを通じた紛争解決方法で生きていくしかなかったのだろう。村の外には盗賊や山賊がいて、村を出るとそこには何があるかわからない、信用できる人がいるかどうかわからない、と農村部の人々が考えたとすれば、こうした発展は不可避的なものだったのかもしれない。<br />
<br />
逆に言えば、ウチとソトへの高い意識は排他性を生む。第二次世界大戦におけるドイツや日本は典型的な例と言えるだろう。戦後のドイツや日本は、世界で規律や勤勉さの代表と見なされているが、同じ国が戦争と言う特殊状況では人間の想像力の越えるような残虐さを見せるというのは興味深い。<br />
<br />
同じように、日本人同士が海外でたまたま顔を合わせた際に、時として感じる険悪な雰囲気というのも、排他性と関連がありそうだ。海外の空港や街角で、どちらかが声をかけるでもなく相手をウチの人間として迎え入れようか、ソトの人間として排他しようかという葛藤の後、ソトの人間として分類された場合には、日本人同士でもものすごく険悪な空気が流れる。一緒にいる外国人が「日本人がいるよ、話しかけてくれば？」などと言われても、「まぁ、別にいいよ」とそっけなく返して無視してしまったりすることはあるだろう。反対に、海外で同業他社の日本人に出会った場合は、親しみを感じて、話さなくてもいいようなことも話して、いつでもメールを下さいと名刺を交換して急に仲良くなったりするのも日本人の特徴だと言えるかもしれない。<br />
<br />
あんなに優しい眼をしたアフガニスタン人が、ナジブラー政権崩壊後にムジャヒディン同士の内戦に陥ったのもこうした社会構造と関係があるのかもしれない。これを逆に利用して、アフガニスタンの社会全体が「ウチ」になれたならば、とても住み心地のいい社会になると思うのだけれど。そんな社会がやってくる事を一人夢見ている。<br />
<br />
<br />
]]></content>
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 <title type="html"><![CDATA[週末－ジム、散髪、など]]></title>
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 <updated>2010-07-23T13:07:00Z</updated>
 <published>2010-07-23T22:07:00+09:00</published>
 <content type="html"><![CDATA[最近余りにも運動をしていなかったので、今日は久しぶりにジムでエクササイズをしてきた。軽くウォームアップしてから入念にストレッチをして、ルームランナーで5キロ走った。すぐに肺が苦しくなりスピードを緩めるも取り敢えず5キロ走った。久しぶりだから走ったことでOKとしておいた。その後、ベンチプレス、腹筋、等を3セットやって終了。気温も暑いのでよく汗をかいて気持ちよかった。<br />
<br />
こうして運動不足になるのも、毎日、自宅とオフィスを車で往復する単調な生活だからだ。オフィスで歩かない限り、一日の徒歩数はとてつもなく少ない。恐らく1,000歩も行かないのではないか。しかも、省庁の中にいるので週末は金曜日の1日だけという週6日労働生活だから、余計にきつい。毎週できるかどうかはわからないけど、ジムを適度に利用しようと思う。どこかでサッカーをやっていたら参加したいけど・・・、どこで開かれているのかよくわからない。<br />
<br />
そういえば、髪を切った。アフガニスタンで髪を切ったのは、約4年間の内で多分2回目だ。1回目に普通の床屋さんで切ってもらって余りにもひどい出来だったので、アフガニスタンにいる間は髪を切らないことにしていたのだ。今回は気温がものすごい上がってきているし鬱陶しかったのでジムに併設されている美容院みたいなところで切ってもらった。前回よりはいい出来だったので、それなりに満足した。これなら、こっちで切るのもありかもしれない。<br />
<br />
帰ってからは、日本で手に入れたL'OCCITANEのシャンプーとコンディショナーとボディーソープを使ってシャワーを浴びた。カブールに戻ってきてから初めて使ったけど、凄い匂いとか使い心地が良くて、些細なことかもしれないけど大分リフレッシュしたような気がした。<br />
<br />
それから、にんにくとトマトとビーフサラミのパスタを作って、マンゴージュースとナンと一緒に食べる。食後、横になっていると、気がつくと寝てしまっていた。久しぶりの運動はけっこう体に応えたらしい。<br />
<br />
あとは、本を読んだり、DVDを見たり、メールをしたり、そんな週末だった。<br />
<br />
<br />
]]></content>
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 <title type="html"><![CDATA[フィールド・ミッション・レポート（６）]]></title>
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 <updated>2010-07-21T15:05:00Z</updated>
 <published>2010-07-22T00:05:00+09:00</published>
 <content type="html"><![CDATA[<div style="text-align: center"><img src="http://www.kenta-aoki.com/blog/media/1/20100723-airplane.JPG" width="333" height="500" alt="airplane" title="airplane" /></div><br />
<br />
アフガニスタンの地形は変化に富んでいて面白い。山一つをとっても、風で洗われて岩が剥き出しになった荒々しい山や、それとは対称的に丸みを帯びた女性的な山、頂きが雪に覆われた山、などなど色々な変化が楽しめる。<br />
<br />
何百万年前かはわからないが、インド半島がユーラシア大陸に衝突して、それでゆっくりと現在のアフガニスタン、パキスタン、ネパール辺りに褶曲山脈と呼ばれる山が出来たのだという。いわば、エベレストやK2やヒンドゥークシュ山脈というのはその時に出来た地球上の皺のようなものだと言えるかもしれない。<br />
<br />
そして、今、世界の注目は、南北問題やグローバル化や国際政治やテロとの戦いの皺寄せを一身に受けたアフガニスタンに集まっている。<br />
<br />
飛行機の上からアフガニスタンの変化に富んだ地形を楽しむ。それは、僕のアフガニスタンにおける数少ない楽しみの一つかもしれない。<br />
<br />
<br />
]]></content>
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 <title type="html"><![CDATA[フィールド・ミッション・レポート（５）]]></title>
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 <updated>2010-07-21T03:36:00Z</updated>
 <published>2010-07-21T12:36:00+09:00</published>
 <content type="html"><![CDATA[<div style="text-align: center"><img src="http://www.kenta-aoki.com/blog/media/1/20100721-pupils.JPG" width="570" height="380" alt="pupils" title="pupils" /></div><br />
<br />
建設した学校の周りをカメラを持って歩いていると、青いペラハン・トンボンを着た生徒に取り囲まれる。村人に囲まれて何かリクエストされるのとは違うが、普段あまり多くの人に注目されることもないので妙に照れたりする。<br />
<br />
プロジェクトのハンドオーバー・セレモニーでは、取り囲む子供達の数以上の謝意を一身に受ける。日本政府の支援に感謝している、日本は同じアジアの国で友達だ、日本とアフガニスタンは同じ年に独立をした・・・。<br />
<br />
僕は、それらの感謝の気持ちを、思い上がりかもしれないが日本国民を代表したような殊勝な気持ちで受け止める。本来僕はそのような立場にある人間ではない。僕はただの民間人だ。支援は日本国民の税金から出ているのだし、この学校を支援しようと決めたのは僕ではなくドナーである日本政府だ。しかしそれでも、学校を支援してもらった側からすればそんなことは関係なく、僕が日本人でありそこに出席しているということだけで、感謝の対象になる。<br />
<br />
いい仕事をさせてもらっているな、と思う。プロジェクトを執行して、目に見える成果を上げて、裨益者から面と向かって感謝される。政策決定レベルでの仕事には現場の仕事にはないやりがいがあるのだろうけれども、現場の仕事には政策決定レベルの仕事にはないやりがいがある。<br />
<br />
これから色々な仕事をしていくだろう。でも、一身に浴びた感謝の気持ちやその時に感じた喜びを、いつも感じていたい。<br />
<br />
<br />
]]></content>
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 <title type="html"><![CDATA[カブール会合を終えて、アフガニスタンの将来に関する考察]]></title>
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 <updated>2010-07-20T05:58:00Z</updated>
 <published>2010-07-20T14:58:00+09:00</published>
 <content type="html"><![CDATA[　今日7月20日、カブール会合が開かれた。これは東京会合やロンドン会合などのような、アフガニスタンに関する国際会議の一つなのだが、今回の会合は非常に国際社会の注目を集めた。何故なら、アフガニスタンが中心になって行われたこの規模の国際会議はタリバン政権陥落後初めての事だったからだ。報道によれば、70カ国以上からの外相が集まったということだ。国連のバン・キムン、アメリカのヒラリー・クリントンも訪れた。日本からも岡田外務大臣が参加した。<br />
<br />
　カルザイ大統領は会議の中で、2014年までにアフガニスタン政府が治安をコントロールできるようにすると公言した。既にアメリカは2011年7月から段階的に軍隊のプレゼンスを縮小していくと発表していたので、それに歩調を合わせた発言だと言える。<br />
<br />
　また、国際社会からの支援金を、ＮＧＯや国際機関ではなくアフガニスタン政府に直接財政投資して欲しいとも発言した。エコノミックヒットマンではないが、援助の半分くらいは欧米のコントラクターや警備会社に流れていると言われている中で、アフガニスタン政府の長として当然な発言をしたと言えるだろう。<br />
<br />
　これに対して国際社会は、汚職対策をしっかりして欲しい、これからも支援をし続ける等々、いろいろな意見を発表した。こうした状況の中で、アフガニスタン政府が取り組まなければならないことが山積しているが、特に、以下の2点に関して特に対策を取っておく必要がある。<br />
<br />
　1つは、ガバナンスだ。汚職対策もガバナンスに入るが、僕が特に気にしているのはカルザイ大統領がいなくなった後の政治的混乱だ。去年の大統領選挙の後に行われた閣僚人事で身に沁みて感じたことだが（ノミネートされた大臣が何回も国会で却下されたのであった）、アフガニスタンには政党政治がないので大枠でコンセンサスを取ることが困難だ。例えば、閣僚を国会が承認する際に、もし政党があればその後の成り行きが概ね予想できそうなものだが、アフガニスタンにはそれがないので国会議員個人個人に判断がゆだねられることになる。国会議員の中には国の将来を考えて判断をする人もいれば、個人の利害だけを考えて判断する人もいて、まとめるのが非常に難しい。<br />
<br />
　アフマド・ラシッド氏は、アフガニスタンに政党政治がない事について、<br />
<br />
<i>「It was his biggest mistake, and ultimately he would suffer because of his failure to build a political organization」<br />
（それ[政党政治がない事]は、彼[カルザイ大統領]の一番大きな誤りであった。そして、結局彼自身が政治組織を作る事に関する失敗によって苦しむのであった）<br />
Ahmad Rashid, "Descent into Chaos", p.258</i><br />
<br />
と述べている。カルザイ大統領は、過去の歴史を見て、政党というものが存在すると大統領の権限が弱まり、国を一つの方向に動かしていくのが難しくなると考えたのだろう。しかし、政党がないことで野党的（反大統領）な意見が集積されて脅威となることがなくなった代わりに、まとまった意見を作りだすことも非常に難しくなった。また、国会議員一人一人に対する統制がきかず、矮小な話をすれば、賄賂がなければ支持しないというような、しょうもない国会議員ばかりが増える土壌も作ってしまった。<br />
<br />
　僕は、20年後のとある朝、まだインクの匂いがしそうな朝刊を開いたら「アフガニスタン政権転覆」という見出しが載っていた、というような悲しい思いは絶対にしたくない。いや僕の思いなどどうでもよかった。内戦に飽き飽きしているのはアフガニスタン人自身だろう。だから、2014年に外国軍が去り、そしてカルザイ大統領が次の大統領にバトンタッチした時に、副大統領や国防大臣や国会議員らが次の大統領を総意として支持するような、そしてその総意が簡単には崩れないような政治システムを作ることがもっとも重要だと思う。<br />
<br />
　2つ目は、治安だ。2014年までに、アフガニスタンの治安組織に権限を委譲してISAFは撤退することになるだろう。現在の予定では、カルザイ政権誕生当時の治安分野改革の戦略通り、軍閥や非合法武装集団を解体して、アフガニスタンの軍隊と警察を強化し、中央政府が治安をコントロールする方向に進めていくことになっている。<br />
<br />
　しかし、中央政府が反政府勢力を抑えられるかと問われて、絶対大丈夫と即答できるアフガニスタン勤務経験者は少ないだろう。カルザイ大統領はカブール市長と５、６年前から揶揄されていたが、現在も状況はそれほど変わっていない。<br />
<br />
　こうした状況で最も重要なのは、パキスタンの関与だ。僕が思うに、パキスタンがダブル・ゲームを止めない限り、タリバンの攻勢は弱まらない。ここまで明言はしないだろうが、同様に考えているアフガニスタン・ウォッチャーは多いだろう。１９９２年以降の内戦時代に、タリバンに資金や武器を援助していたのはパキスタン政府だし、２００１年にタリバン政権陥落後、タリバンをパキスタン領土に空輸していたのもパキスタン政府だ。この点に関しては、国際社会がパキスタンに対して外交的プレッシャーを与え続けるしかないだろう。<br />
<br />
　もうひとつ大事なのは、中央政府が一括して治安を掌握するのか、地方に権限をある程度委譲するのかを明確にすることだ。現在のアフガニスタンでは、武器を持たない個人は全て取り締まる方向でDDR/DIAGを進めているが、同時並行的に、地方のミリシアを武装化するＡＰＰＰ（Afghanistan Public Protection Program）というもの行われている。簡単に言うと、完全に矛盾する２つのプログラムが同時並行で行われているような状況にある。後者のプログラムはまだ小規模なものだが、中央政府がヘルマンドやカンダハルやウルズガンやザブールやホーストなど、周辺部まで全てをコントロールするのは難しいのではないかという感触が広がりつつある中で、基本方針としてどうするのかをアフガニスタン政府は明確にする必要がある。ダメならダメで方針転換すればいい。方針がないままなんとなく進むのが一番怖い。<br />
<br />
　まとめると、アフガニスタン政府が今回のカブール会合で公言した約束を守り、安定した政権を運営していくためには、上に書いたようなガバナンスと治安に関する対策強化が重要になる。アフガニスタンの置かれた状況というのは地理的にも地政学的にも非常に複雑なので悲観的なシナリオを書くことはいくらでもできるかもしれない。しかし、果たしてそれが僕のするべきことだろうかと自分に問いかけると大きな疑問符が付く。僕達外国人はアフガニスタン人が大空に飛び立つ為に補助走行をするのが役目だ。だから、悲観的なシナリオではなくいつも希望を持てるアドバイスとエールを僕は送り続けたい。<br />
<br />
<br />
]]></content>
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 <title type="html"><![CDATA[伊坂幸太郎『フィッシュストーリー』]]></title>
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 <updated>2010-07-17T08:43:00Z</updated>
 <published>2010-07-17T17:43:00+09:00</published>
 <content type="html"><![CDATA[<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/ 4101250243<br />
/kenta0d-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://images.amazon.com/images/P/4101250243.01._SCMZZZZZZZ_PC_.jpg" alt="フィッシュストーリー" style="border: none;" /></a><br><br />
文庫本『フィッシュストーリー』には、伊坂幸太郎の中編小説が４篇入っている。「動物園のエンジン」「サクリファイス」「フィッシュストーリー」「ポテチ」の４篇どれもが良質で、とてもよかった。<br />
<br />
どれも甲乙つけがたいが、表題作には爽やかな切なさと感動があってよかった。この中編作品は、<br />
<br />
「僕の孤独が魚だとしたら、そのあまりの巨大さと獰猛さに、鯨でさえ逃げ出すに違いない」<br />
<br />
で始まる。<br />
<br />
よかったらどうぞ。<br />
<br />
<br />
]]></content>
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 <title type="html"><![CDATA[フィールド・ミッション・レポート（４）]]></title>
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 <updated>2010-07-13T14:36:00Z</updated>
 <published>2010-07-13T23:36:00+09:00</published>
 <content type="html"><![CDATA[<div style="text-align: center"><img src="http://www.kenta-aoki.com/blog/media/1/20100714-children.JPG" width="570" height="380" alt="children" title="children" /></div><br />
<br />
アフガニスタンは多民族国家なので、地方に行くと、トルクメン人だけの村やウズベク人だけの村など、カブールでは出会えない光景に出合う事がある。<br />
<br />
そうした単一民族だけが暮らしている場所というのは、コミュニティー内の紛争や争い毎が、民族が入り混じった地域よりも比較的少なく治安も良い傾向がある。それは集団の凝集性が高い事が、コミュニティー内にタリバンなどが入り込むのを予防していると分析できる。この事を別に解釈すれば、アフガニスタンで治安を確保するにはコミュニティーからのサポートがなければ難しいということにもなる。<br />
<br />
周辺部に行けば行くほど、アフガニスタンではコミュニティーからのサポートがなければ何もできない事がわかる。見渡す限りの土漠、水源も数十キロ歩かなければなく、不毛な台地が延々と続いている地域が数多くある。そうした地域に行けば、村人の家に匿ってもらう、食べ物を分けてもらう、などしてもらわなければ何もできない事が理解できるはずだ。<br />
<br />
バルフ州のウズベキスタンと国境を接する地域にはトルクメン人だけが住む村々が点在している。プロジェクトのモニタリングをしていると、美しい模様をした伝統衣装を着た子供がじっとこっちを見ている。外国人の僕や、カブールからやってきた客人の一向が珍しいのだろうか。<br />
<br />
本当は打ち解けて標準レンズで写真を撮ってみたいが、少し距離を置いて望遠レンズで写真を撮ってみる。僕はジャーナリストでも写真家でも何でもなく、あくまでもプロジェクトのモニタリングをする為にここに来ているのだという責任感が邪魔をする。<br />
<br />
僕と彼らのフィジカルな距離は、僕と彼らとの心の距離も表している。そして、それは僕たち外部者とアフガニスタン人の間にある距離をも象徴しているのかもしれない。<br />
<br />
<br />
]]></content>
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 <title type="html"><![CDATA[フィールド・ミッション・レポート（３）]]></title>
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 <updated>2010-07-11T10:44:00Z</updated>
 <published>2010-07-11T19:44:00+09:00</published>
 <content type="html"><![CDATA[<div style="text-align: center"><img src="http://www.kenta-aoki.com/blog/media/1/20100712-pickup.JPG" width="570" height="380" alt="pickup" title="pickup" /></div><br />
<br />
春、両手に広がる緑色の絨毯を脇目にしながら、プロジェクト・サイトに向かう。草原の向こうに広がる小高い丘も背丈の短い草で覆われていて目に鮮やかだ。その丘の上には青い空が広がり、空気はどこまでも乾燥している。<br />
<br />
ふと後ろを振り返ると、これまで辿ってきた真直ぐな道が延々と見える。意外と悪くない景色に、灯台もと暗し、盲点を撞かれたような気になる。<br />
<br />
同じように、これまで自分が辿ってきた道を、夜、一人で泊まるゲストハウスで考えてみたりする。そして、これから僕は何をしたいのか、限られた時間と力で何を残したいのかも。<br />
<br />
すぐに答えは出ないが、それでもフィールド・ミッションは続いていく。道は僕の前にも後ろにも延々と続いている。<br />
<br />
<br />
]]></content>
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</entry><entry>
 <title type="html"><![CDATA[フィールド・ミッション・レポート（２）]]></title>
 <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kenta-aoki.com/blog/?itemid=403" />
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 <updated>2010-07-10T11:27:00Z</updated>
 <published>2010-07-10T20:27:00+09:00</published>
 <content type="html"><![CDATA[<div style="text-align: center"><img src="http://www.kenta-aoki.com/blog/media/1/20100711-Obeh.JPG" width="570" height="380" alt="obeh" title="obeh" /></div><br />
↑僕の周りを取り囲むコミュニティーの人々<br />
<br />
瓦礫が転がる中で、僕は現地の人々に取り囲まれる。<br />
<br />
「街が洪水で襲われてどんな助けでも必要なんだ」<br />
<br />
「ビスケットを何トンとか送ってくる団体もあるが、何よりも食糧が必要だ」<br />
<br />
「次にまたいつ起こるのか、怖くて寝られやしない」<br />
<br />
今年の春、アフガニスタンは北部、西部を中心に大規模な洪水に見舞われた。午後になると雨が降る日が続き、河川が増水して、茶色い濁流が氾濫した。洪水は街にも押し寄せ、死者の数も日に日に増えていった。<br />
<br />
プロジェクトサイトではありとあらゆるリクエストを受ける。そのリクエストに比べると、僕の果たすべき義務と果たす事ができる事はあまりにも限られている。そもそも、僕は災害対策の為にここに来たわけではないのだ。しかし、それは僕の仕事ではないものでと、会社に入りたての新入社員みたいな受け答えはできない。少なくともそばにいて話を聞くことはできるはずだろう。<br />
<br />
スタッフに通訳してもらい話だけは聞く。出来ない約束はしない。ただ、僕は僕の所属する国や組織やそれ以外の何かを代表して、そばにいる。<br />
<br />
洪水で家が壊れて、家具を流された人々が、家族を守らなければいけない責任を背負って僕を見つめる。<br />
<br />
そこでも嘘みたいな熱風が僕の横を通り過ぎて行く。<br />
<br />
<br />
]]></content>
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</entry><entry>
 <title type="html"><![CDATA[フィールド・ミッション・レポート（１）]]></title>
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 <updated>2010-07-09T02:30:00Z</updated>
 <published>2010-07-09T11:30:00+09:00</published>
 <content type="html"><![CDATA[<div style="text-align: center"><img src="http://www.kenta-aoki.com/blog/media/1/20100709-Sorkhrod.JPG" width="570" height="380" alt="sorkhrod" title="sorkhrod" /></div><br />
↑設計図を確認するエンジニア<br />
<br />
　何かの間違いみたいな熱風が、ランドクルーザーの開け放した両窓から車内に入り込んでくる。僕は、それを車両に備え付けられたスイッチを入れたてのエアコンが吐き出す風だと勘違いする。しかし、その熱風はエアコンなどではなく、間違いなく外からやってきている風なのだ。<br />
<br />
「これは暑いな・・・」<br />
<br />
　それが、標高1800メートルあるカブールから、アフガニスタン東部にあるナンガルハル州に入って僕が最初に感じたことだった。ナンガルハル州は隣国パキスタンとトルハム国境で接する最東部の州だ。街を走るオートリキシャや、混然とした喧騒溢れるバザールや、通りを歩く人々などペシャワールにそっくりだ。距離的に近いこともあるが、1979年にはじまる旧ソ連侵攻時代にアフガニスタンからパキスタンに逃れた難民達の往来が、二つの街を相似したものにさせているのだろう。<br />
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　ジャララバード市内から車で３０分ほどソルフ・ロッドに向かって走る。道端には、将来への不安や悩みというコンセプトすら知らないヤシの木が青い空に向かってスックと伸びている。一方で、僕は個人的な将来への漠然とした不安や援助関係者としてのジレンマや葛藤を抱えながら、ひたすらＤＩＡＧによって建設されているコミュニティー・センターの現地視察を行うべく突き進んだ。<br />
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（冒頭のみでおしまい）<br />
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