エピローグ
2011年の10月と11月にかけて、僕は世界の天井パミール高原を異なった角度から眺めてみることになった。
初めに、10月下旬にはアフガニスタンのバダクシャン州に仕事で訪れ、剥き出しの自然や褶曲した山脈に魅入られた。
そして、11月にはイード休暇を利用して、中国の新疆ウイグル自治区に訪れ、最西端の街タシュクルガンを見て回った。
タジキスタンに住むタジク人、アフガニスタンに住むタジク人、そして中国に住むタジク人。
彼らの間に異なる国民としてのアイデンティティーがあるとすれば、それは教育によってでしかないだろう。
国家とは何か。民族とは何か。
国家とは独占的に物理的暴力を行使できるものであるならば、武器を持った自警団やローカルポリスのいる国家は近代国家と呼べるのだろうか。
実質的に時差が3時間は必要な場所を一つの時間で統治することに無理はないのだろうか。
異なる民族のお祈りや集会を警察や軍の力で牽制する国家は永続するのだろうか。
今回の旅を通じて、いろいろと考えることができたと思う。
稲妻は大地を引き裂き、風はびゅうびゅうと吹き続ける。
踊り子は踊り、クレイマーはクレイムをひたすら唱え続ける。
世界は形而上と形而下の両方で、今日も存在している。
おしまい
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