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■旅行記

インド旅行記

2010年9月9日(木) 第一日目 カブールからニューデリーへ

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 イード休暇がアフマド・シャー・マスードの命日とつながって4連休か5連休になりそうだという情報が カブールにいる国際スタッフの間で広がる頃から、国際スタッフの間では「イードはどこに行くの?」というのが挨拶代わりになっていた。 しかも、今年は9月18日がアフガニスタンの国会議員選挙なので、 仕事が全体的にスローダウンする関係上、この時期に国外へ行くスタッフが非常に多かった。

 インドへ行くと決めてから周りの人に、僕はインドへ行くつもりだと伝えていたところ、 一人旅にも関わらず今回の旅には2つの要素が加わることになった。

 一つは、同僚(ネパール人)の友人も同じ日の同じエアー・インディアのフライトでニューデリーに向かうので、 ホテルまで同じ車で一緒に行ったらどうかと勧められたことだ。ニューデリーへ行くのは初めてだったので宿泊先も 決めていなかった状況で、ヒンディをネイティブに喋るネパール人と空港からホテルまで一緒に行けるのはありがたいので、 快くオファーを受け入れることにした。値段も何百ドルもする高級ホテルではなく、1000ルピー(約22ドル)と割と手頃な値段 だったので嬉しい。しかも、インターネットで見た所では、デリー空港から市街に出る際のタクシーの値段交渉でぼったくられる 日本人が非常に多いということで、移動の悩みもクリアできるのはありがたかった。

 もう一つの要素は、僕のダリ語の先生のナスィールから、お金を渡すから薬を買ってきてくれないかと頼まれたことだ。 アフガニスタンでは医療は発達していないので、大病を患うとパキスタンかインドに行き治療を受ける人が多い。 ナスィールはつい数ヶ月前に、全身のチェック・アップと胃の検診を受ける為にインドに行ったばかりで、胃に異常が あったので薬を定期的に服用していたのだが、その薬が切れてしまったのだと言う。インドには彼の友人がいるので、 彼にお金と処方箋を渡せば彼が全て段取りを整えて、薬とお釣りと処方箋を返してくれるということだった。 普段からダリ語を教えてもらってお世話になっているし、アフガニスタンの置かれた状況を考えると共感できる お願いだったので快く引き受けることにした。

 9月9日の午前11時過ぎに、処方箋の入ったバックパックと一眼レフカメラの入ったバックパックを携えて、カブール空港に向かった

 早く着き過ぎて空港のロビーで時間を持て余していると、若い男性に声をかけられた。彼はフィリピン人の男性で日本に 住んでいた事があるエンジニアなのだという。普段はナンガルハル州で働いているらしい。いろいろ話を聞いていると、 彼の置かれている状況は僕の置かれている状況とは比べ物にならないほど過酷なものだった。というのも、 彼の仕事場はナンガルハル州の州都ジャララバードから車で少し行ったところにある山の中腹にあり、家も仕事場の中にあるのだと言う。 コンパウンドの周りには見渡す限りお店や民家らしきものは何もなく、ただ岩が剥き出しになった殺風景な景色と、 コンクリートやスチール・バーや建築建材が転がる建設現場があるだけなのだそうだ。しかも、赴任してから6カ月経過するのだが、 今回が初めてのフィリピン帰国だということで精神的に相当参ってしまっているようだった。同僚のパキスタン人は、 隣国なので2カ月に一回くらい車で帰っているがフィリピン人の彼は娯楽も何もない建設現場で6カ月間閉じ込められていたらしい。 上司には言ってないが、アフガニスタンには戻らないかもしれないと言っていた。契約解除はしたの?と聞いたけど、 戻らなかったら自動的に解除になるでしょという返事だった。相当疲れているのだろうなぁ。アフガニスタンで働く外国人にも 色々な人生がある。

 同僚の知人であるネパール人の2人とは空港ロビーで顔合わせをして、デリーでは空港からホテルまで一緒に行く事を約束。 14:25に出発を予定していたIC844便は1時間ほど遅れたものの無事にカブール空港を出発し、約2時間の飛行時間で ニューデリー空港に到着した。大体、15:30出発−17時40分到着(インド時間18時40分)だった。

 預けている荷物もないので、ドルをインド・ルピーに両替することにした。実は、カブール空港でもルピーに 両替することはできるので、空港の両替商に値段を聞いていた。最初に聞いた両替商は100ドル=4200ルピーとの返事だった。 インターネットで事前に調べたところでは、大体100ドル=4600ルピーくらいだということだったので、即刻、 次の両替商に質問。彼は100ドル=4400ルピーとの返事だった。これならインドで替えた方が断然いいでしょと思って、 結局カブールでは替えてこなかったのだが、なんとデリー空港では100ドル=4330ルピーだと言われてしまった。 それは高いよとゴネてみても空港内には他に両替商があるわけでもなく、殿様商売の彼らにディスカウントする必要などまるでない。 結局、コミッション55ルピーも払い、100ドル=4275ルピーで両替した。こんなことならカブールで替えてくればよかった。

 知人のネパール人が既に手配したホテルの送迎車が駐車場で待っていたので、軽自動車の送迎車に乗って ニューデリー市内キャロル・バーグにあるホテルまで、僕とネパール人2人とドライバーの4人で移動した。 インドの街には日本車が良く走っている。特に、マルチ・スズキのアルトを非常に良くみかけた。ネパール人の友人は、 インドではスズキのシェアは圧倒的で、スズキの会社自体のインドにおけるシェアも相当高いというようなことを言っていた。 また、ヒュンダイなど韓国メーカーもシェアを確実に伸ばしているとも聞いた。

 午後8時前にはホテルに到着した。ホテルはHOTEL GARDEN VIEWという中級ホテルにネパール人の知人が予約してくれたのだが、 満室らしく、何故か横のホテルHOTEL VISHAL HERITAGEに泊まることになった。どういう仕組みになっているのかよくわからないが 恐らくHOTEL GARDEN VIEWが横のホテルにサブ・コントラクトしているのだろう。つまり、僕からホテルには1000ルピー払い、 そのホテルからサブ・コントラクターには500ルピー払うというような取引が彼らの間で成立しているのだろう。 僕はそれなりの部屋に泊まれればいいので、特に気にかけないことにした。部屋はシャワーも、エアコンも、扇風機も、 テレビもあってそれなりに快適だった。1000ルピーでこれならお得だという感じだ。聞く所では、カブールの国際機関で働く ネパール人コミュニティーは大きく、彼らはアフガニスタンからネパールに一時帰国する際にはニューデリーで一泊しないと いけないようだ。ネパール人コミュニティーでは示し合わせたように、いつもHOTEL GARDEN VIEWを集団で利用しているので、 ホテルの送迎もタダ、満室でも横のホテルを手配してくれるというサービスをしてくれているようだった。 日本人なんて仮に何処かに国でストップ・オーバーしないと行けなくても、各人思い思いの飛行機で日本に帰るだろうから、 それに比べたらネパール人間での情報の交換はすごく密で結束力が高いのだとやけに感心した。

 ホテルに着いたら、ネパール人の知人達はお土産とかを買いに行くからまたねと言われたので、 僕は一人で近くを散策することにした。

 取り敢えず、近くのツーリスト・インフォメーションで地図をゲットして、両替商でドル−ルピーの値段を聞く事にした。 キャロル・バーグの両替商は、100ドル=4620ルピーで両替してくれた。やはり、デリー市内が一番安い。こんなことなら、 全部街の両替商で両替すればよかった。カブールから行く人は取り敢えず市内までのルピーがあれば、あとは街中で両替することを お勧めしたい。あとは、夜飲むためのミネラル・ウォーターを買っておいた。

 次に、ナスィールの友人に電話をかけて今からホテルに来てくれと伝える。今日お金と処方箋を渡しておかなければ、 たった3泊4日の旅行なので帰りまでに薬を手に入れるのは難しそうだ。1時間後に来るということだった。

 所用を終えると、機内食を少し食べただけでお腹が空いていたので、よさそうなレストランで晩ご飯を食べることにした。

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↑インドでの最初の食事、チキン・カレーとナン。玉ねぎとレモンが添えてある。


 チキン・カレーはスパイシーで味付けも良くてすごくおいしかった。パキスタンで食べたカレーと味はほとんど同じだ。 ナンはアフガン・ナンよりも少し小さかったので、途中でプレーン・ライスも注文した。

 お腹がいっぱいになったところで、ナスィールの友人のワヒッドから電話があり、ホテルに着いたということだったので、 急いでホテルに戻った。ホテルにはワヒッドがいた。20歳前後のアフガン人男性で、インドで生活しているためかファッションも お洒落で垢ぬけている。ナスィールが事前に話をしていたので特に何も説明する必要はなく、処方箋とお金を渡した。 3日後の朝にはカブールに向けて出発するから、それまでには必ず持ってきてくれと言ったら、仕事が終わったら電話する、 とプロの請負人のような頼もしいことをいうので渡す物を渡してさよならをした。

 これで、頼まれ事も取り敢えず終わったし、ミネラル・ウォーターも地図も手に入れたし、満足して部屋に戻った。 シャワーを浴びて、手帳に日記をつける。

 僕のインド旅行はどのようなものになるだろうか。自由に歩き回り、美しいものをカメラで撮影できる喜びを噛みしめながら、 期待と希望に胸を膨らませて、電気を消してベッドに横になった。


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